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終戦記念日、ブラジル移民のご先祖様は壮絶な人生だった!

仏像

こんにちは、Jおっさんです。

タイに移住をして4年になります。

 

終戦記念日、お盆でご先祖様を

思い出したので書きます。

 

今回の記事は完全にひとり言です。

 

今こうして幸福を感じながら

タイで暮らしていれるのも

ご先祖様が守ってくれているからです。

 

本当にありがたい。

 

 

私は戦争を経験した事がありません。

 

祖父、祖母、両親は

戦争時代を経験しております。

 

まだ父と母が出会っていない頃、

母方の祖母はブラジルへの移民者です。

 

祖母の両親がブラジルに

移民をすることになります。

 

祖母は子供のころ両親と一緒に

ブラジルに渡ります。

 

私は、祖母のブラジルの写真を

見せてもらいました。

 

第一印象が過去と未来です。

 

何が過去と未来か?

 

それは写真を見て子供ながらに思いました。

 

 

ブラジルの写真で祖母は

おしゃれな洋服を着ていました。

 

写っている街並みなども

当時の日本とはかけ離れています。

 

それで過去と未来だと感じました。

 

未来に行った感じです。

 

実際に未来に行った感じだったか

祖母に聞いたことが有りません。

 

ブラジルでの祖母の両親の仕事は

クリーニング屋さんだったそうです。

 

しかし第一次世界大戦がはじまり、

日本人の移民者は次々と

日本に帰って行ったそうです。

 

日本人は当時、肩身が狭かったと言います。

 

そしてある日のこと、

近所の日本人の方が祖母の家に来ました。

 

その方が言うには明日、日本に行く船が港を出る。

 

「これが最後の日本に帰れる船かもしれんぞ!」

と言います。

 

日本に帰れる船の便が

この船で最後かもしれないと

聞いた祖母の家族は

日本に帰る決断をしました。

 

このままブラジルにいて

どうなるか心配したからです。

 

いそいで日本に帰る準備をします。

 

港まで遠いのでみじたくを

したら直ぐに出かけたそうです。

 

祖母は両親に早くみじたくをしなさいと言われます。

 

 

祖母が言うにはお世話になった

ブラジルの先生やシスターに

お別れの挨拶もできなかった。

「それだけが残念なんじゃ」

と言っておりました。

 

なので、祖母は私に写真の

アルバムを見せながら

「このアルバムだけは絶対に持って帰ると

思い真っ先にカバンに入れたんじゃ」と言いました。

 

 

写真はセピア色です。

アルバムの写真に若き日の祖母と

シスターが写っていました。

 

写真の貼ってあるアルバムに

私の愛するシスターと書いてあります。

 

そして、近所の方とトラックに乗って港まで行きます。

 

もしも、検問で捕まってはいけないので、

トラックの荷台に隠れていたそうです。

 

運転手は知り合いのブラジル人で

多くのお金を渡しトラックもあげた。

と言いました。

 

子供ながら親のやり取りを見た。と言います。

 

 

 

日本に帰る船の中でも不安だったと言います。

 

 

日本人は船底に身を隠して

帰ったと聞きました。

 

なぜなら港に着くたびに

チェックがあったからです。

 

日本人は船底で

ビクビクとしていたそうです。

港を出るまでは船底でじっと、していたと言いました。

 

 

祖母は両親に

「絶対にしゃべったらダメ!

周りの日本人に迷惑をかけてはいけない。」と言われます。

 

 

船で帰るので何日もかかり

緊張したと言いました。

 

幼い子供を連れている日本人は、

周りの日本人に迷惑を

かけてはいけないと大変だったみたいです

 

映画のシーンでありました。

 

防空壕で母親が周りの人に

迷惑をかけてはいけないと、

幼い子供の口を

押さえているのを

思い出しました。(涙)

 

やっとの思いで

日本に帰ったそうです。

 

日本に帰ってからも

大変だったと言っていました。

 

近所の人にブラジルから

帰って来たとは

言ってはいけない。

「疎開して来た。と言いなさい。」

両親から言われたそうです。

 

なぜなら、非国民扱いや

スパイで疑われるからです。

 

そして祖母も成人して結婚をし、

子供を4人をもうけます。

 

第二次世界大戦が始まり

 

長崎、広島に原爆が落ちました。

 

広島での原爆投下。

1945年8月6日午前8時15分

 

1945年8月15日 終戦記念日

 

祖母の話だと

「西の空がピッカと光ったんじゃ」と言いました。

 

祖父はトラックを持っていたので、

広島に行って原爆で亡くなった

ご遺体を運んでいました。

 

そして若くして亡くなりました。

 

祖母は若くして4人の

子供を育てることになります。

 

貧乏だったのでお金がなく当時、

自衛隊の高校があり

祖母の子供の長男は

入学をしました。

 

そして、自衛隊の高校を卒業し、

自衛隊に入隊。

 

出張で日本全国を行きます。

 

しかし、家族にもどこにいるか規則で言えません。

 

山の中でヘビを食べてたりします。

 

雪の中で穴を掘って

寝ることもあるそうです。

 

そんな訓練をしながら家族を助けます。

 

定年になり自衛隊を退職しました。

 

そして、天皇陛下から褒章で

叙勲の勲章をいただきます。

 

叙勲の勲章

国防の功績です。

そんな私のおじさんは今も健在です。

 

感謝する次第です。

 

当時の私の母は、教会の孤児院で働きます。

 

 

なぜなら、

ご飯がただで食べられるからです。

 

そして祖母は阪神・淡路大震災の後に

亡くなりました。

 

大変な壮絶な人生です。

 

日本人はすごい。

 

世界中の方々も昔の人は大変な時代で、

大変な人生をおくったことです。

 

私は何の縁かタイに移住して

幸せに暮らしています。

 

これもご先祖様が守って

頂いているからです。

 

ご先祖様の苦労からしたら

今は良い時代です。

 

ブログを発信しながら

世界中に情報を共有できることに

感謝します。

 

パソコンの向こうの見えない読者様、

ひとり言の記事となりましたが、

最後までお読み頂きありがとうございます。

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