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終戦記念日 広島原爆 被災者救出に向かったご先祖様の青春

仏像

 

こんにちは、Jおっさんです。

 

終戦記念日ごろになると

広島、長崎に原爆が投下され

広島に、被災者の救出へ向かった

ご先祖様を思い出します。

 

今回の記事は、独り事の記事に

なるます。

 

現在、私がタイ王国で

幸せに暮らしているのも

ご先祖様のおかげです。

 

 

戦争時代を生きた、ご先祖様の青春

 

今は亡き祖母は、

ブラジル移民でした。

 

祖母は子供の頃、

父と母に連れられて、ブラジルに

移民します。

 

しかし、戦争が始まり

日本に戻って来ました。

 

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ブラジルから戻って来た

若き祖母の家族は、

日本で生計を立て直します。

 

若き祖母も、年頃となり

結婚をして長女を承りました。

 

その長女が私の母です。

 

戦争は続き、

1944年6月15日には

アメリカ軍はサイパンに上陸し、

日本軍3万人は全滅しました。

 

そしてサイパンは、爆撃機B29

が、配置でき日本への攻撃が

出来るようになります。

 

B29爆撃機が来て日本への

空襲がありました。

 

街に住んでいた、祖母の家族は

街の防空壕に身を寄せましたが

祖父は、街は危ないと思い家族を

連れて、街外れまで来て

布団をかぶっていたそうです。

 

街は炎で明るく、投下される

爆弾が光って見えたそうですよ

 

街には、軍事工場があったので

危ないと判断したそうです。

 

戻って見ると、

街は焼け野原になっていました。

 

祖父母の家も全焼です。

 

祖母と幼い母は、

田舎へ疎開をしました。

 

祖父は、がれきで小屋をつくり

仕事に出かけたそうです。

 

家族は、離ればなれになっての

生活です。

 

そして、

1945年8月6日8時15分

広島に原爆が落ちます。

 

8月9日には、長崎に原爆が投下

されました。

 

ご先祖様の祖父は、

トラックを持っていたので

軍からの要請で、兵隊さんを

乗せて、原爆が落とされた被災地

へ被災者の救助に向かいます。

 

今は亡き、祖母が言っていました

が、被災者が「水をくれ~」

と言ってくるのですが

水を飲ませると死んだそうです。

 

それでも、行く先々で水を

要求されて、ダメだと言っても

祖父が、持っている水筒に

手を伸ばすので、水を飲ませて

あげると、間もなく死んでしまう

と言っていました。

 

被災地の広島から、帰って来た

祖父は、体調が悪くなります。

 

そして、終戦となりバラックの

家を建てて、疎開をしていた

家族と暮らしますが、数年後に

若き祖父は、幼い子供を残して

亡くなりました。

 

祖父のいない、家族は必死で

食べて行く為に働いたそうです。

 

私の母は、食べ物屋さんで働いて

弟や妹に食べ物をあげた

そうですよ。

 

そして母の弟は、自衛隊高等学校

に入学をして、少しの給料で

家族を助けました。

 

 

まとめ

それを考えると、みんな戦争の為

の、青春を生きています。

 

今自由に幸せに生きて、

いけるのもご先祖様のおかげです

 

当時、トラックを持っていた方は

原爆が落ちた被災地に、向かって

いますが、心から感謝し

敬意いたします。

 

亡くなられた方の

ご冥福をお祈りします。

 

これから先、二度とこのような

事がなく、子供が平和な青春を

送れる事を願う次第です。

 

最後までお読み頂き、

ありがとうございました。

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